蓮如上人はある時は、夜ふけて蝋燭をともして、お名号を書かれました。ご老体ゆえに、御手もふるえ、御目もかすみ、ご苦労されながら筆をとられました。翌日越中へ行く人に託すためでした。これも、ただ信をとらせたいとのおぼしめしからでした。
あるとき、中国大陸北部の契丹人が上人を訪ねてきました。それは、ひとり子を死なせ、嘆き悲しみ、蓮如上人の名声をきいて、来日したのでした。上人のご勧化によって、阿弥陀仏の本願のありがたさを知り、上人から六字名号を頂戴して帰国したといいます。
蓮如上人のご往生ののち、堺御坊は御子の実賢、上人の内室蓮能尼がそれぞれ継がれました。その後、戦乱によって衰退しました。